So-net無料ブログ作成
検索選択

ローカル線は旅へ誘(いざな)うツール [交通]

JR西日本が赤字ローカル線の一部を廃止し、バスで代替することを検討しているという。おそらく中国山地も対象路線に含まれているだろう。だがそれは鉄道旅行全体の促進のためにマイナスではないか。なだらかな山々を縫うように走るJR西日本のローカル線は、車窓からおだやかな風景を見せてくれて、我々を和ませてくれる。ヒット商品である青春18切符の宣伝ポスターにもこうした風景が使われている。普段はあわただしい幹線を利用していても、その先がローカル線と繋がっていることで、旅情がかき立てられることもあるだろう。例えば津山から三次へ至る鉄道線は「もうひとつの中国縦貫道」として当たり前でかつ失われた日本の原風景とでもいうべきものが味わえる区間であるが、JR西日本はどれだけ宣伝しているのだろうか。ローカル線自体での採算は厳しいものがあるだろうが、そこへ至るのに新幹線等も利用されるはずである。数年前関東方面へ出かけた際、JR東日本のこんな冊子を見た。『新幹線から横丁へ~旅深まる。ローカル線の旅』。JR西日本は目先の判断で、大切な販売促進のための財産を放棄しないで貰いたい。[
やまならし]
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

天空を走る~ガイドウェイバスの風景 [交通]

名古屋から中央線で幾つか東の大曽根駅を起点に、ナゴヤドームの横を通り、里山を潰してできたと思われる広大な住宅地へ向けて高架のレール上をガイドリングという車輪を側面に取り付けたバスが約10分毎に走る。「ゆとりーとライン」と呼ばれる鉄道とバスの中間的な乗り物で、運転には両方の免許が必要である。
高架部分が終わるとリングをたたんで普通のバスのように一般道を走る。雪が10センチくらいでも積もると浮き上がって脱輪する危険があるから、溶かしてから運行するそうである。車両の価格は3倍くらいするという。
写真は白沢渓谷なんていう名前の駅であるが、宅地の中に人造滝や緑地が少しあるだけで自然は殆ど残っておらず、お寺の周りなどにほんの僅か里山の名残があるくらいだ。
【あと4枚の写真説明】
*大曽根駅へ到着するバス。向こう側にJRと名鉄の駅が。
*ナゴヤドームと駅を車両後部から眺める。
*タイヤ付近に取り付けられたガイドリング。側方のレールに沿ってカーブもハンドル操作無しで走行。
*所要13分8つ目の小幡緑地駅から先は地上の一般道。リングを出して鉄道モードに切り替え、無線が通電した事を確認して遮断機が上がり、高架部へ進入。
[2010.3 やまならし]追記:なおパンフレットによると、小幡緑地には自生するマメナシがあり、珍しい植物だと記載があります。そういえば園内のかなたに白い花を付けた木があったようですが、見そびれてしまったようです。
SA3D01110001.jpgSA3D0092.jpgSA3D01000002.jpgSA3D0098.jpgSA3D0101.jpg

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

海と引込線~四日市港を訪ねて [交通]

かつて公害で汚染され死の海と言われた四日市で、海を守るため活躍した海上保安庁の役人の田尻さんが、後年テレビに出て「漁民の方々に歓迎の出迎えを受けたときは役人冥利に尽きました」と語っていたのを何故が印象深く記憶している。その四日市港がどんなところか歩いてみたくなった。
日曜の港湾地帯は人もクルマも殆ど皆無。四日市港は運河を挟んで島のようになった場所にあり、二本の道路橋で結ばれている。港というと広い岸壁から大海原を見渡せるのかと思ったが、各工場の脇の高い堤防が僅かに途切れたところから出てみて初めて海水が見えるが、突堤が入り組んでいて外海の様子はあまり見えないものである。岸壁に恐る恐る近づいてみると、際は充分底が見えるくらいの深さで結構透明感があり、魚影こそ見えないが汚れている印象はない。砂利などを積むのかと思われる大きな艀が隙間なく幾つも係留されている。
岸壁から少し市街地へ向いて歩くと、太平洋セメントの引込線の踏切で、たまたま貨物列車に出くわした。60才台位の警手の人に話を聞くと、自分が勤め始めた頃は海が汚れていてウナギが捕れたが今はきれいになり砂地のようになってハゼなどに魚種も変化したとか。私は何となく40年位前の話かと勝手に思ったが、よく考えると途中就職や再就職かもしれないから年代はかなり幅がある可能性があり、具体的に聞き直せばよかったのだが、何か個人の履歴に立ち入るようで躊躇してしまったのだ。因みに彼や機関士は下請けの倉庫会社に雇用されてる人々でセメント会社の人は事務員だけだとか。
もうすぐ列車が来るらしく、出発点の工場構内での連結作業の様子が無線機を通して聞こえてくる。あと3㍍2㍍…連結完了、16両の長い貨車は構内に収まりきらず、半分ずつ切り離して止めてあり、発車間際に連結するのだ。やがて旗を降る添乗員を先頭に乗せた機関車がタンク型の貨車を沢山従えて自転車をゆっくりこぐくらいの速度でやってきて踏切を通過して行った。1日最大で5便、鈴鹿山系の藤原岳の麓から四日市港へ粉状のセメントを運んで来て、空車はこのように山麓へ回送する。平日は踏切を大きなトレーラーなどが大抵は一旦停止もせずに通過して行くから、線路を渡る際に大きくバウンドして響くそうだ。
線路は踏切から本線側はJRの管轄だと言う。駅前の地図によると四日市港線というらしく、運河を渡る末広橋梁は1931年に出来た現役では最古の鉄道可動橋で近代化遺産として指定文化財になっていると説明板があった。帰り道に先程の列車に再度出会ったが、機関車は会社間の境界のすぐ先のスイッチバックする付近で付け替えられたらしくJRのDD51型が牽引していた。貨車は四日市の2つ先の富田駅で更に私鉄の三岐鉄道の電気機関車に引き継がれて山麓へ向かう。かつてはこの引込線をいくつかの工場会社が使用していたそうだが現在はこのセメント会社だけになってしまったという。
それにしてもセメント会社の白っぽい小さめのディーゼル機関車はほんの1キロ位の僅かの区間を走る訳である。鉄道の運転士になりたいという人は少なからず存在するようだが、ここの機関士はどんな経緯で職に就いたのだろうか。そして列車のない時間帯は他の作業もこなして結構忙しいのかもしれない、などと思うのである。
〔2010.3 やまならし〕
ML_SA3D01230001.jpgML_SA3D01240001.jpgML_SA3D01220001.jpgSA3D01310001.jpgML_SA3D01180001.jpg

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

『北陸新幹線がやってくる』~富山のLRTセントラムを訪ねて [交通]

富山市内の路面電車に昨年12月新路線が出来て循環運転が始まったと知り、どんな街づくりがされているのか見に行ってみることにした。
富山というと数年前にJR富山港線から移管された富山ライトレールが走り出し、一部が路面区間に移設された事で話題になったが、それはあくまで郊外電車的性格の路線ではあった。だが今回開業したのは駅南側の市内中心部である。
一年ぶりに訪れた富山駅の構内には新幹線の橋脚を建てる工事が始まっていて、4年後に予定されているという新幹線の開通時には駅も高架となり、在来線は第三セクターになるなどの変化が予定されている。地域の文化や経済などにどのような変化が起きるのか、おそらく期待や不安が入り混じった感じなのではないだろうか。
市内に走り出した循環線の路面電車は市内中心部の商店街地区と富山駅を結び、反時計回りの片方向だけの運行だが、大多数が乗降する停留所はほぼ中間点だから利用には特に問題ないようで、雨の日曜日の午後だが立ち客も出て結構盛況だった。シックなモノトーン系の色合いの新型連接車両によって運行される次世代路面電車LRTは、富山城を間近に見ながら、時折カーブではみ出した自動車に気を遣いつつ走る場面もあり、また調整時間が取れない循環線だから全くの定刻運転とはいかないようではあったが、概ね順調快適である。また既存の路線もクルマの渋滞を尻目に10分毎に頻繁運転され、一部の単線区間もタイミングよく行き違いを行っていた。既存線の比較的新しい車両の中央部入口の4枚折戸は半分だけの開閉が出来る構造になっていて、寒い地方に於ける乗客への細やかな気遣いが感じられた。循環線の中心停留所のグランドプラザ前は商店街の中心的施設フェリオがあり、アーケードの広場には子供向けにイベントが開催され賑わっていた。
ただひとつ気がかりな話があった。たまたまプラザ内で福祉作業所の製作品を販売する店に入り、手土産にこの路面電車セントラムのデザインの入った品物はないかと尋ねたところ、意外にも今回は数年前のライトレール開通時と異なり、商品にセントラムを使用するのは許可が必要で実質的には不可能だったというのである。だからこの付近で商売する人々にとって具体的にメリットはないというのだ。確かに運営に関してライトレールは第三セクターで、今回のセントラムは民間の富山地方鉄道が行っており、形態は若干異なるが、かといって地鉄が自社製作のグッズを売っていた様子もないから、やはり市の方針の変化なのだろうか。開通によって総体的に集客力は向上したのではないかと想像したいが、せっかく走り出したLRTを様々な立場の多くの人々が歓迎出来る状況であるべきだ。新幹線開通間近となり、数年前と比べてある意味大都会的とも言える商標権などの経済上の権利意識に敏感になりつつあるのだろうか。
新幹線の話に関連するが、この春のJRのダイヤ改正で上野と北陸を結ぶ夜行列車「北陸」「能登」が何れも廃止される。その写真を撮りに多くの鉄道ファンが訪れていると地鉄案内所で聞いた。セントラムに試乗する人はそのついでにというのが多いようだという。やはり消えゆく物は人々を惹きつけるのか。新幹線開通時までは存続するかと思っていたが、このように数年前からいろんな事の準備がなされるようである。
そういえば行き掛けに再訪した津幡駅ホームの「きびあんこう」の販売店は3月末で立ち退きになるという。数年後の在来線第三セクター化に向けてJRが実施する「整理」の一環らしく、引き続いて構内のキオスク売店では取り扱うそうだが、竹の皮に入った赤福のミニ版のような可愛らしい菓子の販売店が消えるのは残念である。
新幹線前夜が既に始まったとも言える北陸は何だか慌ただしい感じだ。列車の廃止などの外見的変化は比較的よくわかるが、人々の暮らしの変化はよく目を凝らさないとなかなか見えて来ない。
[2010.3やまならし]
ML_SA3D0079.jpgML_SA3D0074.jpgML_SA3D0062.jpgML_SA3D0081.jpg

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

前身は北恵那鉄道~今も地域の足として [交通]

中央本線中津川というと観光地としては馬篭宿が有名だが、町の北側にあり、恵那山や中央アルプスそして眼下には木曽川が流れる苗木城址からの眺望は意外と知られていないようだ。
駅から6㌔の距離は歩くには遠いと思い乗ったタクシーは北恵那交通だった。かつての鉄道の事を尋ねると、運転手氏曰わく「この会社の前身で、橋が壊れたりしたのも原因とか聞いてるが結局なくなってしまった。いまはその代わりにバスとタクシーと運送をやってる。タクシーは名鉄や東鉄に交じって中津川に10数台あるだけだが、地元の人からの依頼が結構ある」のだそうだ。
頂いた名刺によると一応名鉄グループではあるのだが、かつて地域の鉄道があったことで独自性が保たれている趣があった。
山頂の天守閣跡から眺めると木曽川の鉄道橋が残っているのが見え、先を辿っていくと山裾の集落を縫うように線路跡の道もあり、谷合いの鉄橋の石の支柱も見つける事が出来た。帰りは山道を東へ下って線路跡の方へ行ってみる事にした。石積みの支柱を間近に見ると一本は円柱で何故かもう一本は角柱である。木曽川の鉄橋の袂にはかつての恵那峡への遊覧船乗り場があったが、水量が減り運航を止めた旨記載があった。相当以前の事のようだ。たぶんこの付近に駅もあっただろう。
南木佳士の小説「ダイヤモンドダスト」には、今も残っていたら観光客で賑わっていただろうと浅間山麓を走る草軽電鉄が描かれているが、この北恵那鉄道も終点には付知倉屋温泉もあり、一時代前に廃止されてしまったのは惜しまれる。全国を見渡せばそんな路線が幾つかあるのかもしれない。たまたまいいタイミングでやって来た、シート配置もなかなかのセンスの北恵那のワンステップバスに揺られながら、地域交通の健闘を願った。
【2010.1.17 来訪】
★追記:そういえば二昔前に中津川フォークジャンボリーという催しが。たまにフォークの歌詞を改めて聴くと、時代に向き合おうとするものと、そうでないものいろいろみたいですね。
SA3D00220002.jpgML_SA3D00260001.jpgSA3D002900010002.jpg

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

千早城址へ向かう2つの路線バス [交通]

大阪府下で唯一の村である千早赤坂村にある楠木正成の居城・千早城址を訪ねた。かつて籠城によるゲリラ戦で敵を引きつけて鎌倉幕府の滅亡を導いたとされる、山中の車道からでも150㍍の高度差のある山城である。
近鉄富田林駅を降りると、東側には金剛バスという淡い緑色をベースとする車体のバスが各方面へ向けて何台も停まっている。城跡への行き方を尋ねようと、こじんまりした案内所へ行くと、何人かの係員がいて、千早城址への行き方を親切に教えてくれた。よく聞くと城跡は手前にもう一つ赤坂城があり、車窓からも見えるが、棚田の中にあって風景はむしろそちらのほうが、綺麗かもしれない、ということだった。その口調には沿線の風景に対する愛着が何とはなしに感じられた。
ほどなく千早ロープウェイ行きの金剛バスは、乗り遅れて手を上げて合図した高齢の女性をロータリーの中で前ドアから拾い上げ、私を含め数人の客を乗せて発車した。町並みを抜け起伏のある半農村地帯を快走する。バス停は角柱に小さな板を取り付けた昔ながらのものだが、車両はどれも結構新しく、きれいに磨いてある。よく見ると吊革のバンドはふらつきが少ないように2方向から支えてある。乗務員の制服は、紺色の上下に同色のネクタイというオーソドックスなもので制帽はない。ひと昔前の時代に京都市内から大原の里へ向かうような雰囲気を思い出す。やがて客は私1人になり、カーブが続くから座席にきちんと掛けるよう簡単な車内放送が流れる。バスは棚田を見ながら山間部へ入り、結構長い時間かかって金剛登山口のバス停に着いた。ここは駐車場や売店もある賑やかな比較的ところだ。
すぐ横の急な石段を登り、本丸跡の神社まで往復する。途中の四の丸跡と呼ばれる広くなったところは見晴らしが良く、売店には昔のコーラの看板がそのままだ。せっかくだから日本100名城のスタンプを押させてもらう。
帰りは河内長野へ行く南海バスを利用する事にした。こちらならこの日朝から利用しているフリーパスのスルット関西の3デーパスが通用し出費が要らないからだ。バスは始発のロープウェイ前から乗っている下山客らでシートは殆ど埋まっている。中高年男女のグループは会話がはずむ。
以後の途中停留所からも、散策していた人々が1人2人と乗ってくる。乗客は足腰のふらつくような高齢者などではないのだが、乗ってドアが閉まる度に「手すりや吊革をお持ちください」と運転手が制帽に取付られたマイクを使って気だるい声で放送するのにはいささかウンザリした。迷彩服のような柄のシートも落ち着かない感じだ。やがて平野部になりカーブも少なくなった頃、ひとりの乗客が両替をしようとしたところ、「走行中の両替はご遠慮下さい」とまたマイクで。その人は手すりを持ちながら、少しでも乗り降りを円滑にしようと好意から行ったのだろうし、もし注意を促す必要があるなら、すぐそばなのだからじかに言えばいいのではないかと思った。こう乗客への躾が厳しいと慣れない者は参ってしまう。終着の河内長野の円形のバスプールでは「大きく曲がりますからご注意を」とまたもやマイク放送。もしそれが運転手の査定に響くノルマになっているのだとしたら愉快なことではない。見れば分かることだし、乗車時の案内といい、どうしても必要というなら機械による案内放送に組み込んでおけばいい。僅かな出費をケチらずに少し待って金剛バスにすればよか
ったかなと思った。
今日の一般的基準からすれば、南海バスのほうが「模範的サービスを行う事業者」であるという認識は一応持ってはいるつもりだ。しかし私は、金剛バスがこれから先もずっと今のスタイルで、たとえ大手私鉄の資本が触手を延ばして来ても、孤塁を守るかのように走り続けてほしいと思う。そして今回は車窓から見るだけだった、棚田の中の赤坂城址を何時かゆっくりと訪ねてみたいと思った。
〔2009.夏 探訪:やまならし〕
SA3D03740001.jpgSA3D03800001.jpg

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

車内歳時記 [交通]

東山界隈を走るバスに乗る。発車間際急いで乗ってきた私立小学生達は夕方は習字で夜は塾などと土曜も詰まった予定を互いに確認しあってる。後部の女子大生達はファッションや遊びの話で盛り上がってるようす。私は世の中の出来事の脈絡も上手く理解出来ぬままに漠然と途方に暮れる。
観光シーズンと歳末の谷間の時期のせいか混雑はややマシ。それでも祇園から四条通はそれなりに渋滞。40代くらいの女性が呟く「混むのは昔も変わりませんね。京阪が地上を走っていた頃と比べて」私「渋滞の先頭が踏切から先の交差点へ移っただけかもしれませんね。地上を走ってた京阪は存在感がありましたね。市電も外してしまったしね。原武史と言う人が東京の地下鉄について、そんな風に書いてますよ」「今度読んでみます。ヨーロッパでは綺麗な路面電車が走っるのにね。」「日本でも富山なんかで走ってますよ」「祇園祭に邪魔だから撤去したとか聞きましたが」「なんやかんや言っても結局自動車をたくさん売りたいからだったんでしょう」日頃他人との会話が少ないせいかつい余計な話までしてしまう悪い癖だ。他の乗客もいるのに。
日が暮れると普天間基地撤去の市民派のデモ隊がアドバルンを上げながら街を行く。渋滞に巻き込まれたりするとデモに対して内容以前にどこか反感を持ってしまいかねない。
昼間通りかかった博物館はハプスブルク家展の予告。鳩山家の比じゃないだろうななどと思う。
[09.12やまならし]
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

葬られた新性能電車~京都市電;技術者の無念 [交通]

1960年代前半のまだ幼い頃、親戚の家へ行くのによく市電に乗った。6番の系統では当時登場したばかりの新車である700型に乗る機会も多かった。
前面の曲面ガラスにアルミサッシュの広い窓、明るい塗装が施され、洒落た4枚折り戸の観音扉から乗車するときは嬉しくてワクワクした気分だった。軽やかに走る車内に車掌さんが回って来ると「オウフク」と言ってお金を差しだした。母親が私に切符買う練習をさせてくれたのである。13円が二枚で25円とほんの少しだが割引になった。
乗換駅である元田中から乗る叡電でも、当時としては斬新な300型にたまたま乗れたりしたら、その日はご機嫌だった。
だがそんな市電のいい時代は長くは続かなかった。電車が近代化される以上にモータリゼーションは凄まじい勢いで進行していたのだ。高度成長を進める国の政策や地方の政財界の思惑も絡むなかで、部分撤去から全面撤去へと市電はやがて姿を消すことが決まった。
合理化のために、最後まで残す車両は順次ワンマンカーに改造されることになった。どころが最も新しくて全部で48両ある700型は改造を受けることもなく、中でも加速が良くて滑らかな間接自動制御の機能を装備した後期に作られた約半数の車両は、意外にも早々と廃車になることがわかった。
すでに中学生になり通学にも市電を利用していた私はどうしても納得出来ず、ある日烏丸車庫を訪ねた。整備部門の役職についておられたと思われる技術者の方が間接制御は整備に手間や経費がかかる事などを説明してくださった。そして「自分も700型の設計に携わった。例えば4枚折り戸にしても見かけの問題ではなく、それによって戸袋をなくして台車を少しでも外側へ設置してホイルベースを長くとって乗り心地を良くするための設計。世界中どこへ持って行っても恥ずかしくない電車だ。」しみじみとそうおっしゃった。700型は、組織で働くことや世の不条理ということを教えてくれた電車でもあった。
優れた技術を取り入れた、いわば現場技師達の傑作である高性能電車を、製造後僅か10年くらいで、まるで取り急ぐかのように早々と葬り去ったのは、今考えると巧妙に仕組まれた市電廃止への世論工作だった気がする。古臭い車両ばかりが走っている方が「市電は時代遅れ」のイメージを作るには好都合だったのだろう。
あれから既に半世紀近くたち、京都にLRT導入の話も出るなか、在りし日の京都市電の姿を記録する写真集などもいくつか出版されている。だがほとんどが廃止間際の数年間かずっと昔のものである。ノスタルジックな感覚ではなく、700型が登場活躍し、当たり前に市電が走っていた全盛時代の記録がもっとあってもいいと思う。
そして当時の技術者達の無念に応える形で、市民に広く活用されるLRTが近い将来走り出すことを期待する。
(最初の写真は左京区一乗寺塚本児童公園に保存されている720号。残念ながら窓やドアは一般の建築用のものに取り替えられている。市電全廃期まで走っていなかった形式だからか、保存車両も少なく、前面が曲面ガラスのものを私はこれしか知らない。だかこの車両とて前期の分だから間接制御車ではない。高性能の後期の車両は存在した痕跡すら消され、まさに葬り去られた感じである。あとの写真は古いアルバムから拾い出した、活躍していた1969年頃の高野交差点などの風景)
〔09.9.やまならし〕
SA3D0479.jpgSA3D04860001.jpgSA3D04840001.jpg

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

高野山にあった森林鉄道 [交通]

和歌山県の高野山は世界的に有名な観光地である。この高野山にかつて森林鉄道があったことはあまり知られていないのではないだろうか。
南海高野線の紀伊細川駅は深い山の中腹にある。電車を降りて遥か下の集落のある谷筋に向かって坂道を下りていくと、変電所のある三差路に出る。そこから支流と思われる右手の谷の、近畿自然歩道の一部である細い車道を上流へ向けて歩いていく。暫く行くとこじんまりした西細川小学校があり、次第に人家もまばらにはなるが、緩い坂道に沿ってかなり上流部まで民家が点在している。途中には珍しくナンテンの木がところどころで栽培されていて、数百本に及ぶ規模の所も数ヶ所かあった。正月の飾りとノド飴用で、うち一軒の農家だけは出荷出来るまとまった収穫があるそうで、数十年前から続けているらしい。剪定しないのに高く成長しないというから、栽培用の品種なのだろうか。
実はずっと以前に誰かから高野山に森林鉄道があると聞いた記憶があり、1968年発行の古い地図上に軌道の記載を確認し、少し興味を持ってはいたのだが、ついに現地を歩いてみることにしたのだった。
近畿地方の本格的な森林鉄道は、最も近い所でも、同じ紀伊半島とはいえ三重県内である尾鷲から大台山系へ走っていたものしか資料等を見た事はなかったから、大阪から私鉄一本で行けるような近い場所に森林鉄道があったというなら、少し意外な発見といえそうだったからだ。
街道沿いにある民家の玄関先におられた方に、ナンテン栽培のことに続いて森林鉄道の事を尋ねてみた。するとやはり戦後の昭和20年代頃まで走っていたとのことだった。歩いて来た細い車道は軌道跡ではなく、軌道は右岸の斜面のやや高い所を走っていて、廃止後は線路を剥がして林道として使われている、とのことだった。
軌道の痕跡を見つけるべく、矢立という自然歩道の休憩点のある峠を目指してさらに歩くと、軌道跡の林道へつながる分岐路があり、林道へ出るとすぐのところに森林鉄道時代のトンネルがあった。最近まで林道の花坂隧道として使用されていたが、崩落が激しくなり通行止になったままである。あとで地図を確かめると、このトンネルは稜線上を走る高野山道路の矢立の峠部分の下をくぐり抜けており、森林鉄道は分水嶺を越えて水系の異なる高野山南面の湯川辻まで延びていたようだから、結構規模の大きいものだったようだ。地図上で大雑把に計っても10㎞くらいはありそうだ。一方下流方向へ少し行ったところには林道が複線程度の広さになった箇所があり、行き違い設備の跡ではないかと想像した。
人家が途切れて急坂を少し上ると車の往来も頻繁な先程述べた矢立の三差路に出る。高野山へ通じる道路と南側の花園方面への分岐である。突然の賑やかさに少しの驚きを感じつつ細川駅へ向けて、もと来た道を引き返すことにした。
帰路に右岸の少し高い所をよく見ると、山腹を縫うように森林鉄道跡の林道のガードレールや法面が所々で姿を見せている。走っていた当時は森林鉄道に従事する地元の人々も多かったことだろう。現在細川駅の麓にある公営住宅の場所が起終点である集材所だったらしい。かつては更に麓の九度山町付近まで走っていたという話も聞いたが、現況からも、また68年発行の地図上からも、その痕跡は見当たらなかった。
駅へ向かう急な坂道を登りながらふと振り返ると、川に沿って矢立へ向かう車道とともに、小さな棚田と植林地との境目のあたりに、森林鉄道跡と思える林道が緩いカーブを描いている。風景の中に、汽笛を鳴らしながら走る機関車が、材木を積み上げた運材車を何両も連ねて牽っ張って行く姿を思い浮かべながら、森林鉄道が走っていた時代の山村の活気や、山の生態系はどんなふうだったんだろう、などと思いを巡らせた。
【写真は花坂トンネル、紀伊細川付近の駅へ向かう道からの風景】
〔2009.8.15 探訪:8.17記。〕
《補記》
後日、京都府立図書館で、「未知なる"森"の軌道をもとめて『全国森林鉄道』」西裕之著(2001年JTBキャンブックス)に高野山森林鉄道の事が数枚の写真と共に詳しく載っているのを見つけた。大阪営林局高野営林署の運営で、最初の区間の開通は明治38年で、その後延長され、麓の九度山町から南海電鉄高野線と並行して高野山中へ向かう26.011㎞の本線の他に支線もあり、私が歩いたのは昭和7年開通で延長12.195㎞の花坂支線。廃止は昭和34年(1959)とあり全線が一斉に廃止されたような記述である。ただ私の持っている1968年の地図上には花坂支線部分だけに軌道が記されており、この区間だけは廃止後も暫くは軌道が撤去されなかったことが考えられる。また紀伊細川での支線の分岐などの写真も掲載されており非常に貴重な記録である。写真からすると、私が軌道跡だと推測した林道の部分を通ってはいなかった可能性もある。
この本には他に全国の森林鉄道のデータが紹介されており、一見何気ない薄い図書だか貴重な資料集であり、調査した著者の労苦には敬意を表したい。
ちなみに近畿地方では他に、兵庫県波賀町の音水川流域に山崎営林署の森林鉄道が1968年まであったと記載がある。
〔2009.9.9 やまならし〕
SA3D039500010001.jpgSA3D039700010001.jpg

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

『手摺は語る』~近江鉄道を走る・元西武の電車達 [交通]

近江鉄道は滋賀県東部を走るローカル私鉄である。沿線は主に農村地帯だが大きな工場も多く、新幹線や高速道路も走る、いわば今の日本を考えさせてくれるような車窓風景が展開する。沿線を散策しようと土休日に全線が格安の550円で乗れるSSフリー切符を使って乗車してみた。
走っている車両はかつて親会社の西武鉄道で使っていたものが殆どである。そんな中で外見は殆ど同じなのに、ロングシート端の手摺の形状がかなり違う二種類のものがあるのは興味深い。
最初に乗った809号車のロングシートには一見何の変哲もないかのような手摺が取り付けられているが、座ってみると不思議と身体にしっくりくる。(写真1参照)立ち上がりの手助けにもなる網棚までの縦棒は特に珍しいものではないが、横棒のパイプは窓際で少しだけドア側にくびれて取り付けられている。それは座っている人にとっては、きっちり詰めても肩の骨がパイプに当たって痛くならないための工夫であり、一方ドア横に立つ人には、腰が丁度納まる形である。さらに尻の部分に軽く当たるもう一本の縦棒は、座っている人との仕切りの役目をしている。結構工夫を凝らした優れものだ。
ところがほぼ外観が同じ806号車は関西で従来からよく見られるような、窓よりも下の位置に丸みを帯びた簡単な手摺があるだけである。(写真2参照)
おそらく809号車の方が西武での製造年月がやや新しい車両なのだろうが、この2両の違いを見ていると、高度成長期に郊外へ住宅地が広がって通勤混雑が一段と酷くなる中で、乗客同士の不快な接触を避けると共に、少しでも快適な乗り心地というか苦痛の緩和をすべく、設計者が苦心した過程を垣間見るようで涙ぐましささえ感じる。
そんな風に時代の変化に敏感に反応して首都圏を走っていたであろう電車達は、いま湖東の平野を新幹線と併走したりしながら、通勤地獄など知らなかったかのように、短い2両編成でのんびりと走っている。
〔2009.2月乗車.やまならし〕
SA3D0043.jpgSA3D00460001.jpg

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

洛北休日~ケーブルでツツジ [交通]

郊外の都市公園は友人同士や家族連れなど多くの人が思い思いの時間を過ごしている。広さがあるから混雑感はない。
護岸工事がきっちりとされた川岸の木陰で誰かが縦笛を吹いている。橋からみる限り梢の影になってどんな人かはわからない。森の中をスーッと通り抜けるような音色を聴きながら硬いベンチに寝ころぶ。聴こえない時間が暫く続いたので、また小休止かと思ったら、すでにその場所に姿はなかった。
山の中腹をケーブルカーがすれ違って行く。高度差日本一だけあってかなりの傾斜だ。空耳の音色がまだ何処からともなく聞こえてくる。
数日後、爽やかな天気に誘われ久しぶりにケーブルで比叡山へ。以前のBGM入りのテープ放送をやめ、アテンダントによる間隔を置いた説明になり、鳥の声もよく聞こえ走行音や山の雰囲気もより伝わってくるようになった。
スキー場跡の先、ゆうに百本以上あると思われるツツジは今週中が見頃のようだ。数種類の色があり、背景には大原の里や蓬莱山が望める。駅の人の話では、以前からあったが、周囲に他の樹木があって見えなかったのを伐採して眺め易くなったとの事だ。閉鎖中の大きな三角屋根のレストランも、北山方面の展望は素晴らしいのだから、スローライフの身近なリゾートとしての再生を願う。
「つつじケ丘」には中学生の遠足団体が休憩しているだけで、平日とはいえ一般客の姿はなかった。下山後たまたま聞いた話だが、ツツジの名勝地である葛城山ではロープウェイが数時間待ちだったらしい。それを思うと広葉樹の多い比叡山の京都側は静かに自然を感じられる場所であり続けてほしい。だが歴史あるケーブルカーがこれからも走り続けられる程度には賑わいも必要かという微妙な思いもある。
〔2009.5.…やまならし〕
SA3D02130001.jpg

コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

九州行きブルトレ廃止に寄せて~急行「桜島.高千穂」回想 [交通]

JRのダイヤ改正により寝台特急「富士・はやぶさ」が今日限りで廃止されると報道されている。思い出すのは、ちょっとした用があって東京へ行った1975年、18才になったばかりの春の事だ。
私は京都からの往復に、やはりその3月で廃止される東京・鹿児島の急行「桜島・高千穂」を利用した。古い電気機関車が客車を引っ張り、上下共に東海道部分は昼間の時間帯に走る、大半の人々が新幹線を利用する中、のんびりと風景を眺められる列車だった。
所用が済んで帰途につき、ちょうど富士山が目前に見えてきた頃だった。デッキに通じるドアを開けて数人の人達がビラを配りに車内にやって来た。「急行廃止反対。列車選択の自由を守れ!」そう訴える国労の組合員だった。
運行中の列車内で組合活動が出来た当時の状況の中で、労働者と利用者市民が対話をし連帯が生まれる社会に希望が持てた。その情景は、雪をいただいた雄大な富士や初めて買った車内販売の缶ビールとともに、今でも記憶に残っている。
〔2009.3.13 やまならし〕
コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

JRダイヤ改正に見る関西の不況 [交通]

3/14のJR全国ダイヤ改正では九州行きブルトレ廃止などが話題になっているが、関西では「終電が早くなります」の注意を呼びかけるパンフレットが配布され、土休日の長浜への一本以外増発は無い模様で従来とは違った減便基調の展開となっている。例えば環状線外回りは20分早くなり大阪0:09に。同じJRでも東日本や東海は多少の増発が車内吊り等で宣伝されており、不況によって市民の帰宅時間が早くなっている関西の状況と、経費節減へのJR西日本の機敏な反応が伺われる。(2009.3.11 やまならし)
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

富山ライトレールに乗って来ました [交通]

脱クルマ社会の都市交通の担い手として LRTが注目されているが実際に新設された例は少ない。そんな中で富山ライトレールはJRから移管された路線を2駅間とはいえ線路を路面に移し替えたんだから一度この目で見たかった。既にあちこちで取り上げられているようだから今更感想を述べるのも何だが、①自動車用の右折車線を作るのに線路を蛇行させて片側へ寄せているのがいいアイデア。またそれで乗り心地にさほど支障がないのは車両構造が連接式(2車体を1つの台車で繋ぐ)だからか。②駐車違反は全くなく休日のせいかクルマの流れはスムーズだがオフィスビルが多く商店街じゃない地区だから敷設に関係者の理解が得やすかったのだろう。単線である点は車道幅への影響は少なかったのだろうが電車は2~3分の離合待ちも。だが郊外まで一定の距離を乗る人にとって抵抗感は少ないみたいだ。信号のない所で道路を横断する際は双方向から電車がやってくるから細心の注意を。③車両は快適で非常ドアコックなど安全設備も完備。サービスはあっさりで乗務員の過剰な接客案内放送もなく好感。車体幅が狭いがために片側にあるバケットタイプで1人用と半人用に分けられた、いわば1.5人掛のクロスシートは既成概念に捕らわれない発想でいい。親子で座るもよし。閑散時なら荷物置きに。大人なら通路側に向いて軽く腰掛ければよし。…なお終点岩瀬浜から徒歩10分の富山港展望台は無料で富山湾や立山連峰が一望 出来る。〔2009.1.14やまならし〕
コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

銀バスの悲哀~府立総合資料館企画展<京都府の交通史>を観て [交通]

大正13年周山で開業した「スミス銀バス」は狭い山道を山国から京都まで約2時間おきに走っていたが、昭和8年北桑田15ケ村は省営バス開設の請願を出す。その後周山、細野、神吉の内3ケ村は地元の民営バス圧迫を理由に反対の請願を。しかし結局銀バスは省営に買収される。常照光寺など洛北の観光地へ誘うスミス銀バスの案内図付き時刻表を見るにつけ、地域の民間資本が国家独占資本に包摂され、そして今日国鉄民営化により市町村がバスの運営を余儀なくされ、住民は時代の経済政策に翻弄される様を見るようで感慨深い。これは省営を大手私鉄資本に置き換えれば今日の雲ケ畑に重ね合わせる事も出来よう。省営に反対したうちの2ケ村で現在もJRバスが走り、促進請願をした以北の村々からJRが撤退してしまったことは何とも皮肉である。(企画展は4/13迄.2008.3.25やまならし)
コメント(1) 
共通テーマ:moblog

府立資料館で発見 [交通]

過疎地の交通に関して検索していたら、「京都市左京区久多地区の実態報告:過疎と交通問題」府大文学部社会福祉学科社会関係学講座有志著1981.3発行160㌻、という資料に出くわす。79年度卒業の山田稔氏ら4人と在校生数名によって編集。住民へのアンケートや80年の"かんぽーる"での交渉など八丁平問題の記述もあり、林道の過疎対策としての効果に懐疑的な論調も。以前京都バスによるマイクロの循環バスの話があったが道路が狭く立ち消えになったという件も記述あり。貸し出しは出来ないから時間あるとき再度閲覧したい。(やまうるしさんは既読されているかも知れませんが私は知らなかったです。四手井さんのお膝元だけに興味深いです。当時の講座の教官は益田庄三氏が退かれて脇田滋氏になった時代とか書かれていました。この講座は毎年どこかのフィールドで社会調査を行ってきたようです。)
(by やまならし)
コメント(1) 

席を立ってはいけないの?(バス降車時の悩み)市民による調整機能は期待出来ないか。 [交通]

最近多くのバス事業者は全乗客に対してバスが止まるまでは席を立たないように案内している。だからついこの間もある程度混雑した市バスの中で後部に座っていて停留所に到着後立ち上がった若い乗客が降り損ねる事例に出くわした。私は一昔前の感覚で予め前の方へ移動しておかない本人が悪いと思うのだが、前記のような案内がされている以上は本人は指示通りのことをやっていて降りられなかったと苦情を言うかもしれない。たぶんもともとは車内で転ぶ高齢者等が多いからそういった指示案内がなされるようになったんだと思うが皮肉な事に高齢者は迷惑を掛けまいと走行中に前の方へ移動する人が多い。また座っている人は立たない方が安全だといっても混雑時は最初から立っている人もいる訳で矛盾が残る。つじつま合わせのために「バスが止まるまでそのままお待ちください」という意味の取りにくい案内放送もされているようだが、そもそも一律に指示案内する事に無理がある。降車の際は早めに用意すべきだが足腰の弱い人は無理をせず、また周囲の乗客は降りる人がいる旨を乗務員に知らせる、といった暗黙の合意が市民の間で形成出来れば状況に応じた円滑な運営がで
きると思うのだか、それを今の社会に望むのは無理なのだろうか。バイト先輩某女史の表現を借りれば「ひとつダメなら全てがダメという如何にも日本的やり方」というのが本件にも当てはまるのかと憂鬱になる。(2008.2.27やまならし)
コメント(1) 

道路特定財源 [交通]

ひょんな事から初めて車を持ったが確かに重量税は負担ではある。しかし有効利用されるなら必ずしも否定しない。過疎バスへの補助など車の普及で生じた交通弱者への手当や鉄道貨物や公共交通への移行を促すための補助に使うとか。八丁平の件で調べたとき林道のいろんな補助金があるようだったが揮発油税財源のものもあったと思う。建設だけじゃなく景観の修復や林道によらない代替運搬手段などには利用出来ないのか。広く車社会が生み出す諸問題に使われるなら特定財源でもよいかと思う。なし崩しで一般財源化されれば結局一部は大砲戦車に回される危惧もある。(ラジオで日曜討論聞いて12/9やまならし)


コメント(0) 
共通テーマ:moblog

雲ケ畑その後 [交通]

昼間のバス減便の件は自治会が会社と交渉してるが良い返事は貰えてないらしく、とりあえず10月から火曜金曜の週2回14:00に北大路を出る貸切りタクシーを自治会が走らせる事になったそうだ。客がなければ半額は負担しそのまま入庫してもらうとか。利用は地元住民に限定で自治会発行の\300のチケットを買う。赤字覚悟の自力の地域振興だが次のダイヤ改正の来年2月迄をメドとするなら20万円で高齢者の通院や外出の利便が計れるなら高くはないと関係者は話す。私も福祉車両が手に入ったのでお手伝い出来る事があればしたい旨伝えた。大原の小出石地区では地元の運動で一便が復活したというが…会社は一年くらいはダイヤは変えられないなどと言ってるらしいが、私は何処からか声が掛かるとひと月しない内に修正した過去の例を挙げた。(07.10.4 やまならし)


コメント(0) 
共通テーマ:自動車

車窓から眺める丹後の風景《酒井順子さんへの注文》 [交通]

酒井順子「女子と鉄道」読んだ。紀行文というよりも鉄道マニア考"といった内容がまた面白い。建築や服飾のデザインに関心が持たれるのと同様に旅や移動全体の中での交通のデザインへの関心を持つ事があっていいと思う。何も車両に限らず制度面も含め鉄道や路線バスは旅を構成する大切な要素いわば目的地への導入部であったり、またそれを引き立てる調味料のようなものでもある。本の中では先日廃止された鹿島鉄道の霞ヶ浦の風景や奥羽山脈を越えて行く陸羽東線などなかなか景色のいい線区が取り上げられている。ただ細かい注文を付けるようだがディーゼルカーを電車と呼ばないで欲しい。電化されていない路線は電線や電柱のない雄大な風景に出会える価値がありひとくくりにするにはもったいないからだ。謂わば開発から取り残された地域とも言える訳だが願わくばそれを観光の"ウリ"にしてほしい思いもある。非電化路線で言えばタンゴ鉄道を紹介してくれたのは喜ばしいし、"とても美しいという久美浜の海"とサラリと書かれているとかえって行きたい気持ちなる。実際京都にこんな自然風景があったんだと改めて気づかせてくれる所だ。ただ線区前半部分に関しては"時折海が見えたり…"という記述だけでは少し物足りない。由良川に沿って走りながら河口部を鉄橋で渡り、やがて高所から栗田湾を一望し天橋立へと移り変わる車窓風景は一乗の価値があるからだ。府民のひとりとしてこの第三セクター鉄道の健闘を願うと共に、酒井氏にはこれからも一歩下がった覚めた視点からの"鉄分"を含んだエッセイを期待する次第である。


コメント(0) 
共通テーマ:moblog

北山の交通史のひとコマ‥バスの来ない村 [交通]

2007.2.17京都バスのダイヤ改訂で雲ケ畑線が2往復減便で4往復となり昼間の便がなくなった。また小出石地区も約半減の2時間おきとなった。雲ケ畑では昼のバス便が無くなり通院などに困ってるようで地元で足を確保する動きもあるとか。京都バスは歴史ある路線を大切にして欲しいとの声も。
そう言えば昭和初期雲ケ畑でバス事業を開いた波多野周造氏の夫人早苗さんからはよくいろんな話を聞かせて貰ったものだ。この雲ケ畑バスにまつわるおばあさんの事は数年前八丁平通信に何度か書いているので参照してほしい。

ところで京都北山にはバスの通わない地区がいくつかあり、小中の通学に関しては教委が何らかの対策をし、例えば久多は廃校後数年間大原へ通学していた時代はマイクロバスを久多在住で三千院に勤務する人が行き帰り運転していたと聞いた。住民もたまには便乗したかもしれないが正規の方法ではない筈だ。氷室や百井もバスはないが、杉坂や大森は国鉄バス(JR移行後か?)廃止後どのようにしているのだろう。

JRバスが周山付近の支線を廃止した際、京北町内は町が過疎地特例の80条適用の白ナンバーの町営バスで代替し、その後近年京都市右京区に編入されてからも、たぶん法や制度に合致する形の"ふるさと公社"といった名称に組織替えされてバスの運行が続けられているが、もともと京都市北区であった前記の地区はバスサービスから取り残されてしまったような感じだ。一方愛宕山の麓の水尾はずっと以前から自治会が保津峡駅との間でマイクロバスを運行してきたようだ。私は20年以上まえ公民館前の黒板に時刻が書かれていたのを覚えているし、駅に停車中のバスは何度も見ている。制度的にははっきりした位置づけはなかったようだったが、数年前の新聞記事でその辺のところの整合性が整えられて補助の対象になるような事が書かれていた記憶がある。

市街地の一部では弱者の生活路線ではないところで路線バスの新規参入も見受けられるが、過疎地の人達が公共交通手段を自力で準備しなければならない社会は公正さに欠ける社会と言えないだろうか。(詳細の年月日は調査判明次第加筆します。2007.5.27やまならし)


コメント(1) 
共通テーマ:moblog

Dual Mode Vehicle [交通]

最近TVでも鉄道関係の情報や番組が多いように感じる。先日も浪速で漫才やってる甥っ子が自分と同名の日本中の駅を早回りするとか、いう番組を何とNHKの全国ネットで放映というので、おじちゃん、みてや、というのでチラチラと見てたが、本願の地、越中をぬかしよった。何しとんねん。かと思えばつい先日もBSでSLの写真とか鉄道マニアの紹介番組も。


コメント(0) 
共通テーマ:旅行

送別:鹿島鉄道 [交通]

今年1/7、車窓からの霞ヶ浦の風景を見ておきたいと思い3月末で廃線になる鹿島鉄道に乗ってきた。この時点で既に鉄道ファンが多く立つ人も出る盛況ぶりには驚いたが現場で働く乗務員や駅員らは忙しそうで、出来れば職場の廃止を前にしての思いや例えば配転はどうなるのかなどを聞きたかったが、そんな雰囲気じゃなかったのは少し残念だった。だが私もそのひとりだから仕方ない事ではある。各駅や車体側面には中高生らの"かしてつ応援団"の垂幕やペイントがあるのが印象的だった。
かつて百里基地反対運動が繰り広げられた地域でもある。署名運動などで一旦は廃止を食い止めたが取り巻く状況が一段と厳しくなったのは残念である。社会に向けて行動してきた中高生らが敗北感に陥ることなく、それを将来の糧にしていく事を期待したい。

ファンは車両に関心が高いのか、霞ヶ浦や筑波山を眺めている様子の人は意外と少なかった。沿線でカメラを構える人も殆どが車両本位のアングルのようだったが、ひと組のカップルが丘の上の公園から霞ヶ浦をバックに二人ともカメラを手にしているのが目に止まった。私はひょっとして数年前に廃止を食い止めた当時の高校生ではないかと思った。ラジオで"下校時に見る霞ヶ浦の風景がなんとも言えなく素晴らしい"と語っていたからだ。霞ヶ浦はこの日強風のせいで波が白く立ち、また水の色は思ったより濁っていたが、逆光に光る風景は美しかった。(2007.3.31やまならし)


コメント(1) 
共通テーマ:moblog